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フォークナー短編集(追記)

W・フォークナー 『フォークナー短編集』を借りた。 

龍口直太郎訳  新潮文庫



フォークナー短編集(追記)_e0295821_17062269.jpg

























以下、目次の抜粋。
「嫉妬(Jealousy) 赤い葉(Red Leaves)エミリーにバラを(A Rose for Emily)あの夕陽(That Evening Sun)
乾燥の九月(Dry September) 孫むすめ(Wash)バーベナの匂い(An Odor of Verbena) 納屋は燃える(Barn Burning)」
 「新潮世界文学42 月報」の 開高健「フォークナーとの出会い」より、抜粋。

「 久しぶりに『野生の棕櫚』を読みかえした。(略)
はじめて読んだのはまだ“戦後”の旺盛な頃で、フォークナーもヘミングウェイもあまり訳出されていず、
名声はしきりに伝えられるが過去の仕事ぶりがほとんど読者にはわかっていず、いわば彼らには顔がなかった。
アメリカ文学そのものが、頭をようやく見せはじめた鉱脈といったところであった。
だからこの作品を読んだときの印象はきわめて鮮烈で、活字が一個一個すみずみまで洗練されて配列されているようであった。(略)
チャンドラーだったかハメットだったかをはじめて知ったときの驚愕をジッドは書いたが、ボーヴォワールはサルトルと二人でフォークナーやヘミングウェイやドス・パソスを読んだ若い日の夢中を自伝に書いている。」
「はじめてフランスへ行ったとき、(略)
フランスの作家たちがアメリカ文学に打撃をうけたのかがよくわかったように感じた。」
「 その頃、本屋に行くとアメリカ兵が読みすててバラまいたペイパー・バックがたくさん積まれていた。
(略)シャーウッド・アンダスンはヘミングウェイやフォークナーの師匠にあたる作家で、のちに手ひどいやりかたで弟子にのりこえられ葬られてしまうが、(略)
フォークナーは私の語学力ではよちよち歩きでついていくのが精いっぱいなので、何度か努力したけれど、つらくなってやめた。
ヘミングウェイは長篇はたいくつで読まなかったけれど短篇はよく読み、私なりに味わえる、または味わった、と思って本をとりあげたり、おいたりしたものである。」
「 アメリカの純文学の人物たちはたいてい何らかの形式によって逃避を試みる。(略)
または、逃避によってしか充足できない。(略)
批評家たちのさすところではアメリカの作家たちはいつもインキを新しくしてミシシッピ河畔の浮浪児ハックルベリフィンを描きなおし、
描きつづけているのだそうであるが、(略)」
「 肯定とおなじ密度の否定の意志があり、文脈と人物たちの背後にはほとんど暴力に近いような、沈鬱な激情の顔のあることを感じさせられる。
“情熱”はなければならず、また、あってはならないのでもある。
フォークナーの作品にたちこめる沼の瘴気のようなアトモスフェールだけを吸って中毒した何人かの日本人がきわめて朦朧とした作品を書き、
それらはたちまち褪せて消えてしまったが、(略)
どこを読んでも激情の濃霧につつまれながら明晰でない一行はないのである。(略)
『異邦人』のムルソオや『嘔吐』のロカンタンのある面影を抱いた先駆的人物をこの医学生の停車場の酒場における述懐に読むことができる。」

 開高氏の文章は翻訳者の加島祥造氏の解説ともまた違う味わいがある。
この書評だけで一つの文学作品と言っていいくらいだ。

週間新潮2022年2月3日号、北方謙三「十字路が見える」第396回、「文学の香りというやつを求めてみたが」より、抜粋。
「 どれぐらい前か、フォークナーの作品を再読していた。『エミリーに薔薇を』があった。(略)凄絶な短編である。(略)
ただ、ずっと昔に私が読んだ時は、『エミリーの薔薇』というタイトルで、
それ以後、『エミリーに薔薇を』とか『エミリーへの薔薇』などというタイトルが出てきたようだ。(略)
最初に読んだのは、瀧口直太郎訳であった。私はこの訳者で、スタインベックやカポーティを読んだ記憶がある。『エミリーの薔薇』は、かなりの超訳になるだろうと思うが、(略)タイトルとして、原題よりすぐれている、という言い方もできるかもしれない。
 南部の屋敷で暮らす、上流階級の女性の、不幸な一生の中で、唯一手にした薔薇。それが描出されているのだ。エミリーへ薔薇を贈るという意味合いだと、鮮烈さは消える。私は、日本で最初に訳したであろう、瀧口直太郎訳のタイトルに、この作品を象徴するような凄さがある、と感じる。」
 北方謙三の文も、それだけで香気ある文学作品のようだ。

原文より抜粋。「A Rose for Emily」

「Alive, Miss Emily had been a tradition, a duty, and a care; a sort of hereditary obligation upon the town . . . 」
「Then we noticed that in the second pillow was the indentation of a head. One of us lifted something from it, and leaning forward, that faint and invisible dust dry and acrid in the nostrils, we saw a long strand of iron-gray hair.」

「新潮世界文学」は作家別に編んであるのだが、「集英社ギャラリー『世界の文学』」はなんと、「国別」なのである。 
うち、『アメリカ I』はメルヴィル、ポー、ホーソーン、マーク・トウェイン、ヘンリー・ジェイムズ、
『アメリカ II』はフィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、フィリップ・ロス、アメリカ短編集 、『アメリカ III』はソール・ベロー、ボールドウィン、ジョン・バースといった作家陣。
集英社のほうがエンタメ系の出版社だからかなあ。
まあ「ヘミングウェイを読むつもりで他の作家も読んだら、案外面白かった」というのもアリ、だろうしね。
 
 三冊に各作家の写真が掲載されている。ほぼ全員白人なのであるが、ジェームズ・ボールドウィンだけが黒人である。
『アメリカ III』を借りて、真っ先にボールドウィンから読んだ。
フォークナーは白人の立場から黒人のことを書いたが、ミシシッピなどの南部であること、時代が少し前のことであるからか、黒人の置かれた状況もボールドウィンが書くニューヨークとは、違う。
公民権運動に熱心(にならざるを得なかったのだろうが)だったこともあってか、晩年は寡作だったようだ。




フォークナー短編集(追記)_e0295821_16573347.jpg


















フォークナー短編集 (新潮文庫)

フォークナー/新潮社

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フォークナーのヨクナパトーファ小説: 人種・階級・ジェンダーの境界のゆらぎ

大地 真介/彩流社

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by stefanlily | 2022-02-02 17:07 | 文学、books(海外) | Comments(0)