文学、音楽、映画、猫の写真


by stefanlily

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
音楽、music
映画、movie
文学、books
野球、Baseball
猫関連、Cats
芸術、Art
猫文学cat's books
Review in English
本のまくらQUIZ
小説(my own works)
文学、books(海外)
未分類

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
more...

フォロー中のブログ

おいらとJazzと探偵小...
ぐうたら日和
近所のネコ2
お母さんの味を忘れたくないから
Neko panchi ...
☆ねこにはかなわぬ☆
正方形×正方形
ネコは猫でも... (...
深夜を廻る頃・・・
気まぐれ感想文
光と影をおいかけて
畳ねこ
ねこ旅また旅
ネコと文学と猫ブンガク
猫、ネコ、Neko!! ...
なびかせろ!たてがみ
ことえりごとの日々。
フェルタート™・オフフー...
月猫にっき
くぼのジュエ
猫と文学とねこブンガク

最新のコメント

nobikunJさま ..
by stefanlily at 16:33
ボールドウィンだなんて、..
by nobikunJ at 08:59
LuckySevenS..
by suezielily at 16:44
「少年たちが“リトル・ダ..
by LuckySevenStars at 13:21
nobikunJ さま..
by stefanlily at 17:14
nobikunJさま ..
by stefanlily at 17:12
フォークナーを語らずして..
by nobikunJ at 18:19
イギリス映画というと真っ..
by nobikunJ at 18:10
鍵コメントさま こちら..
by stefanlily at 17:46
nobikunJさま ..
by suezielily at 15:52

ご注意 notice

野球川柳、写真、英文記事等は無断転載禁止。 コメント下さった方、有難うございます

最新のトラックバック

芸術の秋2013
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・は行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・な行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・な行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・た行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・た行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・た行
from シェークスピアの猫
映画ひと言コメント・か行
from シェークスピアの猫
へそくり (5)
from シェークスピアの猫
へそくり (6)
from シェークスピアの猫

ライフログ


Hatful of Hollow

検索

タグ

最新の記事

John Peel セッショ..
at 2017-12-11 17:35
ドストエフスキー「未成年」
at 2017-12-08 17:36
ギッシング短編集
at 2017-12-04 18:09
野口冨士男『感触的昭和文壇史』
at 2017-12-03 16:09
海外文学過去ログ
at 2017-12-02 17:59

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

音楽
映画

画像一覧

フォークナー「八月の光」


 ウイリアム・フォークナーの「八月の光」(Light in August)を読んだ。
「新潮世界文学42 フォークナーⅡ」新潮社、1970年11月。
加島祥造訳「八月の光」を収録。
以下、本文より抜粋。

e0295821_18245844.jpg




117ページ、 八章
「もうとっくに彼は地面に降りるのも上に戻るのも自由自在になっていた――(略)猫の影さながらの器用さで綱をよじあがるのだった。」
154ページ、 十章
「しかし道路は猫のように走りつづけ、彼にとっては一つの場所も他の場所と変わりないのだった。」
156ページ。
「さっき灯のついていた窓の下ではちょっと立ちどまったが、そのときも猫のように音もたてなかった。」
「(略)ちょうど猫が別の窓のことなど思い出さぬのと同じにだ、猫のように、彼もまた闇の中で見えるといったふうで、(略)猫に似た本能によってか、またはすべてを知る何ものかに操られて進んだというところだ。」
176ページ 十二章
「 彼はそのとおりにし、(略)しまいに女が戸棚や空き部屋で、闇の中に猫のように目を光らせながら、息づかいも荒々しく隠れているのを見つけるのであった。」
185ページ 十二章
「それから立ちあがり、猫のような静かさでさっき入ってきた入口へ近より、さっとドアを開いた。」
 
WIKIのフォークナー「八月の光」の項より、抜粋。

「フォークナー自身はその由来を次のように語っている。
『ミシシッピ州の八月には、月の半ばごろ、とつぜん秋の前触れのような日がやってくる。暑さが落ちて、大気に満ちる光は、今日の太陽からくるというよりも、古代ギリシアのオリンポス山あたりから差しこんでくる感じになる。......しいて言えば、この"古代そのもののような光"は......子を産むために世間体や宗教的倫理などを気にしない女リーナと結びつくかもしれない。』」

「Speaking of his choice of title, Faulkner denied this interpretation and stated,
. . .in August in Mississippi there’s a few days somewhere about the middle of the month when suddenly there’s a foretaste of fall, it’s cool, there’s a lambence, a soft, a luminous quality to the light, as though it came not from just today but from back in the old classic times. It might have fauns and satyrs and the gods and—from Greece, from Olympus in it somewhere. It lasts just for a day or two, then it’s gone. . .the title reminded me of that time, of a luminosity older than our Christian civilization."」
 
SparkNotesより抜粋。
Light in August Important Quotations Explained
http://www.sparknotes.com/lit/lightinaugust

「Chapter 3
‘It is because a fellow is more afraid of the trouble he might have than he ever is of the trouble he’s already got. He’ll cling to trouble he’s used to before he’ll risk a change.’」
「Chapter 6,
Memory believes before knowing remembers. Believes longer than recollects, longer than knowing even wonders.」
「Chapter 12,
Perhaps he realised that he could not escape. Anyway, he stayed, watching the two creatures that struggled in the one body like two moon-gleamed shapes.」
「Chapter 12
[H]e believed with calm paradox that he was the volitionless servant of the fatality in which he believed that he did not believe. He was saying to himself I had to do it already in the past tense; I had to do it. She said so herself 」
「Chapter 16
“I mind how I said to you once that there is a price for being good the same as for being bad; a cost to pay. And it’s the good men that cant deny the bill when it comes around. . . . The bad men can deny it; that’s why dont anybody expect them to pay on sight or any other time. . . . Maybe it takes longer to pay for being good than for being bad.”」

アラバマ州からミシシッピまで、身重の若い女が時には馬車に乗せてもらうことがあるにせよ、ほぼ徒歩でずっと歩いていく、この導入の場面からして凄い。
「響きと怒り」でも、フォークナーは、少女が木に登って窓から、祖母の葬儀を除き見ている、あるいは少女が木を伝って家出をする場面から想定して書き始めたというから、何かそれらの場面だけで、もう作家の「勝ち」だろうって思う。たとえ他の場面が破綻していても、難解であっても。

今回、初めてフォークナーの諸作品を手にとって読んだのだが、打ちのめされたなー。
今まで、アメリカの作家ではヘミングェイが一番だと思っていたけど、それも揺らぎそうなくらいだ。
日本でのポピュラリティーは、ヘミングウエィと比べて低い印象である。
裕福な家庭の没落だとか、特に、女性が身を持ち崩すだとか、非常に日本人好みの設定で書いているにも関わらず。
 
この新潮世界文学の付録である月報に、開高健がフォークナーについて書いている。

開高さんがフォークナーやヘミグウエィを好きだというのも、すごく分かる。
そして、完璧な書評であるので、そちらも併せてご一読を。
「失敗を恐れない」というフォークナーのコメントも、いいね。

猫が見ていた―猫ミステリー傑作選 (広済堂文庫)

中島 河太郎(編集)/廣済堂出版

undefined






[PR]
by stefanlily | 2017-08-02 18:26 | 文学、books(海外) | Comments(0)