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村松英子、三島由紀夫を語る

「BSフジ プライムニュース 」5月4日放送分。
シリーズ"昭和90年"の肖像① 「三島由紀夫のペンと剣 」を見た。
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キャスター 反町理、秋元優里
ゲストは
村松英子(女優)と西尾幹二(評論家 電気通信大学名誉教授)。
ぶっちゃけ村松さんの圧勝。
西尾幹二は村松さんと比べて、生前の三島と深い付き合いではなさそうだったし。
ネット上でも彼の席には別の人が座るべき、という意見を見た。
まあ澁澤龍彦をはじめ、親しかった人で三島に対抗できるくらいの知性を持ったの人の大半が亡くなられているけども。
澁澤さんは生きておられたとしても、TVには殆ど出ることはなかったそうだし。もし、出ておられたら凡百の文化人タレントが壊滅したであろうけど。知識知性容姿全てにおいて、彼に敵うわけがない。
で、西岡氏の席に座るべきだったと私が思うのは野坂昭如(三島と一緒に全共闘を見学に行ったのは確か、作家では彼だけ)か石原慎太郎、彼らのどちらかでしょう。
少なくとも、村松女史が一方的にしゃべって(面白かったけど)いたことはなかった、バトルになってそれもまた面白かったはずだ!
ネット上の意見では美輪明宏さん(三島の生前では丸山明宏、なのかな?)が出ていればとあるけど、見た目が村松さんとカブる(笑)。
思想的には正反対かもしれない、あのお二人。
それと、村松さんと西尾氏が石川淳のことをボロクソ言っていたけど、澁澤さんは「三島由紀夫おぼえ書き」でも悪くは言っていない。
追悼の会か何かで「僕はこういう会は好きではないが三島くんが好きだったから」って言っていたのが印象的だった、って。ですよー。村松さん。何かテレ隠しでの言動を悪く取っておられるのかも???

いい番組だけど、改憲の部分だけクローズアップして三島を政治利用しないでほしいな。。。
こちらにまとめ記事 ↓
http://blog.livedoor.jp/doorkaz/archives/1026404852.html
「村松: 文学座で若い女優だった。昭和36年に、三島先生の「十日の菊」という劇場の楽屋でお会いした。ヒロインは杉村春子先生。カトレアの花を杉村先生の所に三島が捧げに行った。三島は自分の作品のヒロインの初日には大きなカトレアの花を捧げるのが常だった。まさか自分がそうなるとは思わなかった。私は、十日の菊の時には楽屋当番だった。お茶をさし上げたら、どうもありがとう、と言われた。その日の夕方、兄から電話がかかってきて、兄は、なんでおまえは可愛い妹を隠していた、と三島に怒られた、と言った。兄は文芸評論家だった。

村松: 若い青年の心は政治活動によって傷つけられる、その傷ついた心を癒すのが芸術だ、という三島の喜びの琴と言うのだったが、三島由紀夫は政治が嫌いだった。喜びの琴は上演停止になった。左翼に遠慮してと言うことだった。それで三島は文学座を辞めたが、その時に思想的理由だという言質を取った。私は文学座は思想的に縛られないということで入ったのに、思想的に縛られるのだったらと、杉村先生にも止められたのだけれども、私も若かったから辞めてしまった。

村松: 私が文学座を辞めた後、三島に呼ばれて、三島は僕の戯曲を通して育てたいと言ってくれた。その後、NLTや浪漫劇場などで三島は戯曲を書いた。6年間で次々と大役をいただいた。

反町: 三島さんとは本を書く人として接していたのか、監督として接していたのか。

村松: 三島の戯曲を体現する存在として接していたが、先生には芝居を通して人生を教わり、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いた。東京の山の手は標準語ではない、同じ山の手の言葉を話すという安心感があった。

西尾: ドイツから帰ってきて、長編連載が出る直前に、その連載を三島が評価してくれているという噂を聞いて、新潮社が間に入ってくれていたのだろうが、推薦文を書いてくれるとことになった。それでお礼に行った。元気の良い、快活で、ぴしっとした姿で、三島です、と言って用意されたビールをついでくれて、よどみなく話をした。トイレに立とうとしたら、さっと階段を駆け下りていってくれてドアを開けてくれ、ここです、と言った。そんな率直で礼儀正しい人だった。これからゴーゴーを踊りに行こうというのでついて行った。奥様もご同行だった。先に帰ろうと挨拶に行ったら、暗い顔をして踊っていた。

村松: 三島はダンスが上手だった。ワルツも一緒に踊ったし、ゴーゴーも踊った。三島はゴーゴーは一人で踊るダンスだからストイックで好きなんだ、と言っていた。

三島由紀夫の最後の著作となった四部作、豊饒の海。最後の原稿を受け取ったのが元新潮社編集者の小島千加子。原稿を受け取りに行ったら、最終回というのは普段なら言ってくれるのだが、その時は寝耳に水だった。『天人五衰」の頃になると(主人公の)本多ってのが歳取っちゃって死期が近いって分かっている訳ですよ。ところが三島さんが歳を取る事って滑稽だって言うんですね。「許せない」って、始めのうちはその程度だったんです。老いが嫌いだって言ったって、それは自然で人間が誰でも歩んで行く道なんだから。こっちは全然気楽に考えていたんですけれども、三島さんの本当の願いって、ご自分で正直におっしゃっていたのは老いる事が醜いと老いは許せないと、自分が老いることを許せない、根本はそれだろうと思うんです。60、70まして80、90になった自分なんて思い描くのも嫌だったんじゃないですかね。
(三島由紀夫とは)・・・やはり言葉の大切さ文章というものの美しさ。文章の人に訴える力、(三島さんの)それはやはりすごいと思いますね。本当に複雑な方だと思うのは、あの当時のスター扱いですよね 文壇では。今みたいな世の中と違って あの当時の三島さんの活躍ぶりって華やかで。新聞などでも三島さんが何を観に行ったとか、こんなことをやっていたとか、すぐ新聞のちょっとしたコラムの中に出るくらい本当にスター級の人でしたからね。

秋元: 老いが許せなかったと。

村松: それは口癖でした。老いることは醜くなることだからキライだと。三島は世阿弥が好きだった。世阿弥の言葉で、若い時は花があって、歳を取って咲かせるのが本当の花って言うのがあるが、それを意識してくれなかったのかと山本健吉さんが追悼の言葉で言っていたのが印象的だった。筋肉を鍛えていたのは、人工的なものだと言っていた、見せびらかしたいと、それが衰えていくのが許せなかったのだろう。

●三島由紀夫の言葉(『三島由紀夫 追想のうた』より)
「僕の文学のエロスの井戸に棲む蛇は、日本の能です」
「芝居はせりふの肉体化、インカーネーションだからね」
「僕のせりふの一節一節を、そうだな、ニューヨークのマンハッタンのビル群のように構築して、言って欲しい。その一節一節にドラマがあって、それがつらなって、一つの大きなドラマになってゆくのだよ」

村松: フランスのクオリティ紙のルフィガロにエロスは何と言われた時に、日本の能と答えた。日本の文化を大事にするようになっていた。文武両道で、剣道もしていた。能は武家の文化と同時に日本語が一番美しかったと言われる古今集の時代の言葉。これを大事にしていた。能しか信じないというのが口癖になっていた。

反町: 三島戯曲を演じる時に、能を感じていたのか。

村松: 演劇の本質だ。ギリシャ悲劇でも、フランスの劇でも、古典劇は似ている。三島は古典劇が大好きだった。能は誇れる日本の文化。

反町: 武家の文化の対極にある大衆文化の、落語や歌舞伎に対する三島の評価は

村松: 歌舞伎は華やかだから、ある時期までは脚本を書いたり、交流があったりしたが、ある時期から興味を失った。武の方にいったと言うこともある。能の特徴として言葉が美しく洗練されている、10やりたいことを1つにまとめるのが洗練だ、能の仕手役のように演じてくれと言われた。

反町: 三島のせりふは多くないのか。

村松: 多いです。ものすごい多いです。三島の戯曲の文体はフランスの戯曲の影響を非常に受けている。だから饒舌だ。三島の翻訳をされたサイデンステッカーさんは三島の戯曲は好きだが饒舌すぎると言っていた。

反町: 作家と戯曲の使い分けは

村松: もっと現実的な話をしていた。小説はお金になるからと、戯曲はお金にならず趣味みたいなものだと言っていた。まあそれは三島特有のレトリックだろう、同じように真剣に書いていた。

村松: 作品と自分の間に距離を置く人だった。戯曲はせりふ、だから自分が隠れられる、その人物に言わせられる。

反町: 戯曲の方が自分が出ている。隠れて。

村松: そうです。勘が良いですね。

反町: 三島の作家としての特徴は

西尾: 短編と戯曲が素晴らしい。長編は苦しんでいたのじゃないか。金閣寺は有名で名作だが、主人公は閉ざされた心の持ち主であえいでいる。社会に出会えない。それが彼の悲劇なる。日本の文壇は長編小説を書かないと評価されなかった。西洋だったら戯曲だけ書いていればいいけど日本はそうは行かないと言っていた。豊饒の海はチャレンジだったと思う。しかしそれは苦しかっただろう。全共闘で苦しんでいる若者を描いていると思った。自分で自由を閉ざしておいて、自由が無くなってから自由に対する情熱に火をつけている。

村松: 三島の作品の本質は、薔薇と海賊という私が最後にさせて頂いた芝居のプログラム原稿を紹介させて頂ければ分かる。世界は虚妄だというのはというのは一つの観点であって、世界は薔薇だと言い直すことだってできる・・・それでも世界は薔薇だと言えばきちがいだと思われ、世界は虚妄だと言えばすらすらと受け入れられ、あまつさえ哲学者としての尊敬すら受ける。こいつは全く不合理だ。虚妄なんて花はどこにも咲いてやしない。

村松: 世界は薔薇だというきちがい扱いの孤独に耐えても、世界は薔薇だと言い続けたいというヒロイン。逆説に満ちているのが三島の特長だ。」

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三島由紀夫 追想のうた―女優として育てられて

村松英子 / CCCメディアハウス


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by stefanlily | 2015-05-18 17:14 | 文学、books